長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所

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Sep 12, 2019

アアルト大学講堂

アアルト夫妻が新婚旅行で訪ねたイタリア旅行で影響を受けたとされる
円形劇場コロッセオ

アアルト大学講堂は劇場の様なかたち

外観から内部は想像が難しい





大学の全体模型



素材の多様性





階段を一歩踏み出す毎に
形態の変化
景色の変化
素材の使い方が全てに
きょろきょろ凝視してしまいなかなか進まない

同じ場所に降りる3カ所の階段も
雁行させ
面白い。

混雑も避けられ機能的でもあるようです。





ステージから放射状に構造リブが広がっている。

光がまんべんなく入り
カーテンも照明もフレームに隠されていた。
小柄なAALTOによるためか家具は総じて低く私にはちょうど良かった。
全ての場所から公平に中央のステージが眺められつけられた角度に寄って
視線がその先へと集中できるように感じられる。
大空間が照明を付けることなく適度な光に満たされ祈りを捧げる教会の中にいるような
神聖さを感じた。
AALTOの心血を注いだデティールが違う次元へと空間を変えた。

Sep 11, 2019

昭和元年(大正15年)


租祖父が頑張って頑張って塩尻に

家を新築した時の上棟写真が残っています。(今も現存)
生まれ育った家はこの家
小学生頃既に古く寒い木の建具、断熱材も入っていないという状態で
友達の家が次々に新築されモルタルとサッシ付きの家に強い憧れを抱いていました。
この写真を祖母が見せてくれた時
「大正の終わりに中山道で大火があり新築ブームでそれに乗っかって我が家も新築した」
租祖父のお陰でこの家があると話を聞かせてくれました。
この写真を見た時、周囲の環境の違いと大勢の人が着物を着ている事や顔が真っ黒なことに驚いたものです。
そして古く隙間だらけの家が生まれた時間の流れを感じ
一番は木構造の躯体だけの美しさと現状の違いに驚き
思い返せば「建築」という行為に初めて触れました。
いつか・・綺麗な家に住みたい!という単純な思いがその時に芽生え
今建築を職業とする動機に繋がったようです。
租祖父まで時系列を整理してみると
この年の前に租祖父はつれあい(租祖母)を亡くし落胆を情熱に変えた様です。
それにしてもこの時代お金を稼ぐ手段は殆どなく
自分が働き動く事で人工を貸し借りして建てた家です。
家の価値は見た目だけでなく
その背景にあるのだと今になれば解ります。

Sep 10, 2019

アアルト大学

到着して二日目はヘルシンキのアアルト建築ツアーを申し込んでいました。
といっても二人だけそしてmysuomiさんから日本人のガイドさんが付いてくれました。
これが大正解で
自分達だけでは入る事を躊躇してしまうアアルト大学の教室内部を見ることが出来たり、アアルトのアトリエと自邸では
大勢の見学者の様に時間を刻まれる事もなく別行動
私達だけで逆コースを回り空間を体感し
アトリエの食堂でゆっくり椅子に座ってブランチを食べることが出来ました!

ホテルからヘルシンキ中央駅まで徒歩






































通称アアルト駅を出ると直ぐにアアルト大学(旧ヘルシンキ工科大学)が見えてきます。

夏休みが終わり新しいセメスターの準備をしている学生がちらほらいました。





































圧倒された図書館
エントランスから柱の装飾
天井の高低差や照明
空間を広く人の動線を考えた書架の配置
アアルトらしい曲線カウンター




















何といっても光の取り入れ方に感動しました。
ハイサイドライトからの自然光は
人が読書をする作業をする図書を探すといった機能に合わせ
視界を遮らず手元に届くように反射光も含め考えられていて居心地が良すぎる場所です。

またふと疲れたら見上がれば少し高い位置に緑を取り込むピクチャーウィンドウが
配置されて鮮やかさに満たされる。  




















Sep 09, 2019

白夜



朝の3時30分に自宅まで迎えに来てもらい乗り合いタクシーで
ご近所の方を拾って4名で成田空港へ
8時には到着しゆっくりとラウンジで過ごし焼き魚定食を食べ飛行機へ搭乗。

直行便FINエアーは約9時間でヘルシンキ空港へ到着しました。
空港からホテルまでは車で30分、見る物すべてが新鮮で信号が少ない!                                            大通りや国道も緑に覆われゆったりとした街路に驚く!
しかし本当に近いヨーロッパでした。

20年ほど前、最後にフィレンツェへ行った時には住んでいた金沢から前の日まで仕事それから24時間かかって辿り着き、疲れ果て
3日間眠りっぱなし・・当時の友人に呆れられたものです。
あの時は人生最大の覚悟をしてイタリアへ戻ったのでした。

久しぶりの海外です!日本時間だと24時を過ぎているのに関わらず心も足取りも軽く
到着後すぐにウキウキと夜の街歩きをはじめました。
ロシアによる統治時代があり
ペストの流行や火災,戦いなどヨーロッパは階層社会貧富の差が
激しく生きるだけで必死だった時代
ヘルシンキの建築は比較的新しく市街地が形成されたのは1800年代初めの様です。

私の実家で一番古い戒名先祖が宝暦3年12月(1753年)だったのでその頃・・
(一般の日本人は土の間にムシロの生活だったと思います)
それでもヘルシンキは100万人以上が住むまち


光を求める開口とガラス張りのテラス空間を持つ集合住宅が多くみられた。

イタリアのルネッサンス期歴史ある重く影のある街並みと比べ
圧倒され圧迫されプレッシャーに潰されそうな場所とは異なっている(自分の思い込み・・)

コンクリート(プレキャスト)集合住宅の工事中の現場があったり混構造の(木造と石造)が多く様式に捉われることなく街が自由に形成され
しかし見苦しいものが何もない・・住民と行政の美意識の高さが感じられます。

岩盤がそのまま表わしで土台として使われた公園や建築も多くみられ地震とは無縁の国の自由さを楽しみました。

海も近く海軍の要塞「スオルミンア」もフェリーで20分ほどで行く事が出来ます。
日本より気温は10℃ほど低いと聞いていたので長袖を着て行きました。
しかし以外と暑く汗ばむほどの陽気・・・町を歩くのにはもってこいです!


木造フレームを使ってEXHIBITIONが開催されている。
デザイン美術館前の広場
船着き場
水が近く災害は大丈夫なのか?と聞いて見たところやはりヘルシンキ中央駅は2日前に水没し漸く復旧したところだそうです。

Sep 03, 2019

フィンランド研修

1週間の休みを頂きフィンランドへ行って来ました。
二人共、20年ぶりのヨーロッパで本当に一念発起で施主の皆様、現場の皆様にご理解を頂きありがとうございました。
走り続けて来たこの20年、特に事務所を塩尻へ移してからは忙しく

実家の長崎へも2泊が限度、国内旅行も(猫もいるので・・)2泊までと勝手に思い込んでいた気がします。

本で読んだ知識が増えて行くにつれ

時代がインスタグラム、写真が拡散し実と虚の境界が曖昧な今の時代にあって
現地に行き実物に触れ感じ得た気持ちほど大切なものはありません。

自分たちのそうした危機意識が

急な思いを駆り立て実現するに至りました。
また親を見送り(私の母はありがたいことに健在)
今年大切な叔父叔母を見送った際に「自分の時間を大切にするように」
言葉をもらった事がきっかけです。
フィンランドでヘルシンキを中心に工業が盛んで市街地や交通網トラムを創り変えている渦中のPORI(ポリ)
ウーシマ―、湖に囲まれたユバスキュラと電車やバスを乗り継いで移動して来ました。
また旅行記はきちんと書き残して行きたいと思います。

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