長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所
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ホームページをリニューアルしました。
ロゴも丸みのある文字から大人になったのでゴシック明朝にリニューアル。
ベースの写真は夜明けの高ボッチ高原で撮影しました。
地球の青を感じられるこの時間の青が一番美しく何に関しても辿りつきたい青です。
ラインはあえてフリーハンドで二人で描きました。
サイトは2005年当時は小さな動きのある可愛らしいサイトから始まり
2007年にリニューアルしクライアントに製作していただいて以来
何度かリニューアルしWORDPRESSの古いバージョンを恐る恐る使って来ました。
2012年を過ぎたころから
サイトの役割はSNSを同時に発信する流れになり
スマホサイトも2015年に製作。
今はサイトの役割は毎日変化を遂げ解らない場所に行ってしまいそう・・
ですが原点に戻りシンプルに伝わりやすくを心掛けました。
文字情報よりも写真の役割が大きくなり
それに対応できるシステムにはやはり寿命があります。
建築とはまるで違うスパンの短さで日進月歩・・
建築は反し普遍性を求めるもので自分たちらしさとシンプルさそのバランスを考えました。
時間をかけてつくり上げて来たサイトとつくっていただいた
クライアントに感謝し長く大切に育てて行きたいと思います。

台風の影響で停電が続き
大勢の方が不自由な生活を強いられ命さえも危険にさらされている事態を今の時代はツイッターやSNSで詳細を知る事ができます。本当に
電気がなければ何もできない私達の生活を何とかできないものかと考えてしまいます。
東北震災以前オール電化が推奨され家庭の電気容量が増えるだけ増え風速40メートルに耐えるという電柱ではおぼつかない場所が長野県にも至る所にあります。
(殆どです)全く他人事ではありません。
蓄熱暖房やエコキュートへ送る家庭への幹線が入替られてトランスが電柱に乗せられ
支柱で支えられてはいるものの電柱の太さと比べれば不甲斐なくいかにも重さに耐えているかに見える電柱が多くみられます。
此処の所、設計をしている住宅のUA値は小さなボリュームの平屋住宅で外皮平均熱還流率の検討に力を注ぎ0.41W/㎡Kという数字まで抑えられています。
建物内外温度差を1度としたときに、建物内部から外界へ逃げる単位時間あたりの熱量(換気による熱損失を除く)を、外皮等面積の合計で除した値。外皮とは、熱的境界になる外壁・床・天井・屋根・窓・ドア
また年間一次エネルギー消費量もなるべく抑えられる様な環境設計を心掛けてはいますが特に冬に電気が止まれば命に速結する長野県では家庭で使うエネルギーをオール電化にはせずプロパンガス、電気、場合に寄っては薪ストーブ、場所により灯油と分散型で考えて行く事をお勧めします。
大学からはヘルシンキオリンピックに使われた木構造の体育館を見てタクシーで移動
広い敷地を持つ豊かな住宅街で途中から歩いてアアルトのアトリエへヘルシンキムンッキニエミ 手狭になった自宅近くに1954年~1955年にかけ建築された。岩盤がむき出しになった急斜面にそのままの地盤を生かし内部も高低差により変化している。
帆を張った様な形通りに対して閉鎖し内部に向かって開くここでも円形劇場の様な形態の中庭がある。



生きているかのようなアトリエ


今も魂が宿る
アトリエ
アアルト存命中の1964年頃には増築その後食堂が一階に改装もされた。
また2002年から2004年まで修復が
今も外部の一部に足場がかかりメンテナンス工事が行われていました。
現在も財団のOFFICEとして使われています。
建築当初の材料や構造を破壊することなく施され
家具様々な配置にもアアルトの意図を感じられるような空間の中で
アアルトの意図や才能、考え方をそして偉大さを直接感じとることができ
本当に震えてしまいました。
美術館とも記念館とも違い
建築当時のアアルトの意図通り維持され使われている
まだ現役で生きているかのようです。
アアルト夫妻が新婚旅行で訪ねたイタリア旅行で影響を受けたとされる
円形劇場コロッセオ
アアルト大学講堂は劇場の様なかたち
外観から内部は想像が難しい

大学の全体模型

素材の多様性

階段を一歩踏み出す毎に形態の変化景色の変化素材の使い方が全てにきょろきょろ凝視してしまいなかなか進まない
同じ場所に降りる3カ所の階段も雁行させ面白い。
混雑も避けられ機能的でもあるようです。

ステージから放射状に構造リブが広がっている。
光がまんべんなく入り
カーテンも照明もフレームに隠されていた。
小柄なAALTOによるためか家具は総じて低く私にはちょうど良かった。
全ての場所から公平に中央のステージが眺められつけられた角度に寄って
視線がその先へと集中できるように感じられる。
大空間が照明を付けることなく適度な光に満たされ祈りを捧げる教会の中にいるような
神聖さを感じた。
AALTOの心血を注いだデティールが違う次元へと空間を変えた。

租祖父が頑張って頑張って塩尻に
家を新築した時の上棟写真が残っています。(今も現存)
生まれ育った家はこの家
小学生頃既に古く寒い木の建具、断熱材も入っていないという状態で
友達の家が次々に新築されモルタルとサッシ付きの家に強い憧れを抱いていました。
この写真を祖母が見せてくれた時
「大正の終わりに中山道で大火があり新築ブームでそれに乗っかって我が家も新築した」
租祖父のお陰でこの家があると話を聞かせてくれました。
この写真を見た時、周囲の環境の違いと大勢の人が着物を着ている事や顔が真っ黒なことに驚いたものです。
そして古く隙間だらけの家が生まれた時間の流れを感じ
一番は木構造の躯体だけの美しさと現状の違いに驚き
思い返せば「建築」という行為に初めて触れました。
いつか・・綺麗な家に住みたい!という単純な思いがその時に芽生え
今建築を職業とする動機に繋がったようです。
租祖父まで時系列を整理してみると
この年の前に租祖父はつれあい(租祖母)を亡くし落胆を情熱に変えた様です。
それにしてもこの時代お金を稼ぐ手段は殆どなく
自分が働き動く事で人工を貸し借りして建てた家です。
家の価値は見た目だけでなく
その背景にあるのだと今になれば解ります。
