長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所
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スオメンリンナフィンランドヘルシンキからフェリーで15分ほどロシアに対する守りを固めるための要塞。
1809年にロシアに占領され1917年ロシア革命でフィンランドは漸く独立を果たしその役割を終えた。
今も残る大砲などの武器も長い城壁も今となっては起伏の残る良い散歩コースとなっています。
人は色々な闘いを強いられて来ましたが今回の敵は人類共通の敵で少なくても皆が同志です!
スキレットを買ったのでパンケーキを焼いたり((笑)パン焼きに失敗したり(笑)己を振り返り赤面したり??しています。
早く自由に感動できる場所に行けますように!
Stay Home Stay alive!
大学からはヘルシンキオリンピックに使われた木構造の体育館を見てタクシーで移動
広い敷地を持つ豊かな住宅街で途中から歩いてアアルトのアトリエへヘルシンキムンッキニエミ 手狭になった自宅近くに1954年~1955年にかけ建築された。岩盤がむき出しになった急斜面にそのままの地盤を生かし内部も高低差により変化している。
帆を張った様な形通りに対して閉鎖し内部に向かって開くここでも円形劇場の様な形態の中庭がある。
生きているかのようなアトリエ
今も魂が宿る
アトリエ
アアルト存命中の1964年頃には増築その後食堂が一階に改装もされた。
また2002年から2004年まで修復が
今も外部の一部に足場がかかりメンテナンス工事が行われていました。
現在も財団のOFFICEとして使われています。
建築当初の材料や構造を破壊することなく施され
家具様々な配置にもアアルトの意図を感じられるような空間の中で
アアルトの意図や才能、考え方をそして偉大さを直接感じとることができ
本当に震えてしまいました。
美術館とも記念館とも違い
建築当時のアアルトの意図通り維持され使われている
まだ現役で生きているかのようです。
アアルト夫妻が新婚旅行で訪ねたイタリア旅行で影響を受けたとされる
円形劇場コロッセオ
アアルト大学講堂は劇場の様なかたち
外観から内部は想像が難しい
大学の全体模型
素材の多様性
階段を一歩踏み出す毎に形態の変化景色の変化素材の使い方が全てにきょろきょろ凝視してしまいなかなか進まない
同じ場所に降りる3カ所の階段も雁行させ面白い。
混雑も避けられ機能的でもあるようです。
ステージから放射状に構造リブが広がっている。
光がまんべんなく入り
カーテンも照明もフレームに隠されていた。
小柄なAALTOによるためか家具は総じて低く私にはちょうど良かった。
全ての場所から公平に中央のステージが眺められつけられた角度に寄って
視線がその先へと集中できるように感じられる。
大空間が照明を付けることなく適度な光に満たされ祈りを捧げる教会の中にいるような
神聖さを感じた。
AALTOの心血を注いだデティールが違う次元へと空間を変えた。