長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所
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共(コモナリティーズ)
曖昧な境界
共(COMMON)以前の日本には確かに存在した心地の良い大らかな曖昧さ
戦後土地を所有する権利が皆にもたらされ生産性を重視した区画整理、構造開田、水路管理と
国土は計画的に造成され日本も世界も豊かになり所有する喜び満足感は公平にもたらされた。今も享受しながら失ったものもあるのかもしれない。
私達にとって土手は遊び場でシロツメクサアを摘みお茶をしたり
皆が分け合って使う曖昧な場所でした。
13年前に親の田畑を相続し何年か紆余曲折稲作をしたものの続けられなくなり
田を続けたいという80歳近いお隣さんに7.500円/年(1.5たんぶ)でお貸している。私たちが水路管理組合に年間の権利費、固定資産税、草刈りの出不足金を支払うので採算を考えれば大きなワイン醸造会社に売るべきだったかもしれない。
しかし田をつくりたい人は貴重な存在で希望がある限り実りをもたらす人を応援する価値があると思う。
お米はお店で買う値段ですが買う事ができてます。
5年前には断れない性格から借りたいという希望を叶えるべく
自費でリノベーションを行い小さなシェアオフィスを運営協力している。持ち出した資金の回収は出来ないと解って始めたことだ。
しかし寛容さ曖昧さに救われている。
普段逢えない人と出会い
彼らの世界を感じ見られることは大きな価値です。
幼少期は日常の中で親の時代に残っていた講という考え共という考えと寄り添って生きていた。
思えばそれは私達の財産であり今の考えに繋がっていた。
小さな場からやりたい事を実現できる人が増え
再び社会にもたらされる小さな寛容さ。
そして私たちの日常にも世代を超えた人との関わりが生まれた。
現場近く田植えを終えたばかりの景色に続ける事の尊さと愛しさを感じ
土手からオタマジャクシを見る。除草剤との闘いに勝ち生命を存続する強さに込み上げてくるものがある。
境界、共を試行錯誤し人や場所を通して学び生きたいと思います。