長野県の建築設計事務所 スタジオアウラ一級建築士事務所

ブログ BLOG

Apr 23, 2021

軽井沢の山荘

 

軽井沢の山荘1962年 あまりにも有名な建築家 吉村順三の建築
漸くたどりつきました。

代表作として語られることも多い山荘は今はひっそりと佇んでいます。

例えば戦前に建てた白い箱のモダニズム建築スキップした土浦亀城自邸であったり
そして可変性のある間仕切りの考え方を持つ清家清斉藤助教授の家など
今私たちが日々考えを巡らせている住宅建築の根底
そしてすべての要素は先人たちが作り出したことだと改めて感激しました。

静かな森の中に川の流れがありここではすべてが調和しています。

近くには室生犀星が昭和35年自ら建てた石碑がありました。
我ははりつめた氷を愛す。
 切るせつなき思いを愛す」

という詩が綴られており

軽井沢の氷に囲まれた住まいの中で強い決意を感じ
また情緒的な風情のある素晴らしい場所でした。

犀星は金沢生まれ

私が以前金沢で犀川のほとりに住まいしていた頃、近くに犀星の道があり歌碑も。
様々な思い出が蘇り胸がキュンとしてしまいました。

 
「かげろう日記遺文」野間文学賞を受賞記念で建立
室生犀星夫妻の遺骨が金沢から分骨され
像の下に眠っている。

 

 

軽井沢では手入れをすれば

苔寺の様な素晴らしい場所になる。

 

 

Apr 22, 2021

SHISHI-IWA-HOUSE

 穀雨 葦はじめて生ず
建築旅行ができないので近場の軽井沢で建築家 坂 茂が設計したししいわハウスへ
建築は眺めることも良いけれど用途に合わせて滞在して改めてその意図を味わえると思ったのが

13年前友人がプロデュ―スしたコンサートに誘われに訪れた八ヶ岳音楽堂での3時間の出来事でした。

それから滞在する場所には滞在し味わうべき場所では味わって建築を体感することが楽しみになりました。

ししいわハウスではプライベートな個室の他に3部屋単位で構成されたキッチンがあり更に10部屋で使うリビングの様なラウンジがあり

この日は私たちだけの単独滞在だったので全ての空間を自由に行き来してゆっくり滞在しつつ建築を充分体感し何とも贅沢な一日でした。

やはり平日休みが嬉しい。

有機的なデザインが機能的に実現した建築

敷地内の樹木を生かしそれを避けて建築を構成したため曲線の様な線で構成されているので
見えている梁は微妙に角度があり一つとして同じではないのです。

段ボールを挟みこんだ構造用合板の梁が意匠的に生かされ曲線の内側がリビングで外の様な内として大開口を設け

て視覚的にも開放感もありました。

近接した敷地にレストランを含む2棟目さらに来年には建築家西沢立衛が設計した3棟目ができるとのことで

またその建築に出来たら滞在することを目標に仕事頑張ります。

本当に楽しみです。

曲線のような直線で構成されている。

周囲を歩くと様々な時代のVILLAもあり建築を楽しめる場所です。

その中で観光地軽井沢の悲哀を感じる建築を発見。

建築家 隈研吾設計のイタリアンレストランが昨年OPEN予定でほぼ竣工していますが

結局まだOPENすることなくまるで廃墟のような佇まい。

屋根の石は浅間石らしいのですが

今の事態が収束し無事にOPENした時には訪れてみたいものです。

 

2021.4.13 軽井沢

 

 

 

Apr 19, 2021

エロイーズカフェ(旧ハーモニーセンター)

2021.4.13

建築家吉村順三 1983年 旧ハーモニーホール

アメリカ人エロイーズ女史が日本の子供たちに音楽を楽しんでもらいたいとの意図で

つくられた建築

老朽化し取り壊しの危機がありエロイーズカフェとシェアハウスとして運営されています。

周囲の自然との調和と緩やかな高低差を持つ敷地を生かした

本当に自然の流れの中で存在する建築でした。

内部は緩やかなスロープはレーモンドから受け継がれステージに導かれるように

構成されている。

 

建物は意図を変えると印象も変わる。ハーモニーホールだった時に訪れてみたかった。

構成のすばらしさやディティール、自然との調和の素晴らしさは失わなくとも

生きていく建築にはルイスカーンが言っていたように「存在する意思」が必要なのだと感じた。

 

Apr 13, 2021

厳島神社

2009.1.13

西廻廊

広島へ2009年にいった理由は確か初詣だった気がします。電車で行った様なですが何故か記憶が曖昧です。本社、客神社、廻廊が海域に建ち厳かで柱の配列が左右非対称という妙を感じて来ました。海に建つという自然の驚異に常にさらされて建築当時の部材はほぼ残らないと言われていますが周囲の住居は修理に駆け付けられる様に職人さんが多く今も歴史と共に人の手仕事で守られている神社でした。屋根は檜皮葺で自然にさらされ被害を受けても自然界には驚異とならない姿です。

本社本殿の屋根は、切妻造の正面・背面の両方を長く伸ばし、その伸ばした部分が庇になった「両流造」

この日はグランドプリンスホテル広島へ

平日で宿泊者が少なくスタンダードな部屋を予約しましたが高層階の良い部屋にグレードアップで案内して頂けました。
1994年に建築された池原義郎・建築設計事務所+大林組S造+SRC造 23階建て地下1階
広島湾に浮かぶ元宇品の先端に建つ高層ホテル
元宇品広島湾に浮かぶ島で、明治期の干拓事業により陸続きとなったようです。ホテルへはバスと徒歩で行った記憶があります。
まずロビーの水盤と螺旋スロープが印象的なポストモダンなウェディングホテル
その案内文を見て当時思い出したのが学生時代の友人の結婚式に20代にこのホテルに一度訪れていたことでした。
しかし20代の結婚式でスピーチを任され緊張のあまり何も考えられず残念ながら
帰りにほっとしてエレベーターを降りた時の景色しか記憶にありません。

 

 

 

Apr 12, 2021

進んでいく

清明 次候 雁北へ帰る
先週は見積もり調整と

また方向性が決まり着工準備を進めたり

基本設計がまとまったり新しい計画の土地の見通しが立つなど春の訪れと共に先を見通せるようになりました。

昨年は全てがスローテンポでなかなか先が見えない

新しい計画も受けにくいという時期がありました。

それでもご理解を頂きzoom打ち合わせやゆっくり計画を進めて来ました。

これから
ブログの中で今まで訪れたり宿泊したり滞在した建築を少しずつ振り返ってみようと思います。

2008.11.05 上高地帝国ホテル

今から思えば当時の自分たちが仕事に追われていたのは

計画性が未熟だったからとわかります。

疲れ果て近くに逃避行をしたいという気持ちから無理やりに

冬季休業に入る直前の上高地帝国ホテルに行ったのでした。

昭和8年開業のホテルは日本初の山岳リゾートホテルとして期待され
高橋貞太郎設計のSRC造。
風雪による老朽化のため現在のホテルは当初の外観を再現しながら昭和52年に新築されました。

構造が見える山小屋風の部屋に宿泊し
部屋からも雪を頂いた穂高連峰が見えました。

楽しみにしていたのは夕飯に食べたカレーライスで

2008年当時はレストランを楽しむゆとりも度胸もなく

写真も何となくピントが甘く

早く帰って仕事をしたいという気持ちが表れています。(笑)

 

 

エントランス

 

 

 

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